2017年12月9日公開の『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL』に、如月弦太朗役の福士蒼汰さん、JK役の土屋シオンさん、大杉先生役のアンガールズ田中卓志さんが出演することが話題を呼んでいる。
この「仮面ライダー部再結集」を記念して、私は『仮面ライダーフォーゼ』を全話視聴した。
実は『仮面ライダーフォーゼ』放送時にリアルタイムで観て以来この作品を観ていなかったため、とても新鮮な気持ちで再視聴した。
今回はこの作品について書いていきたいと思う。
本編、及び『仮面ライダーフォーゼ』関連の各劇場版のネタバレを含みます!!
また、『仮面ライダーフォーゼ』以外の作品のネタバレも多少あります!!
イカ!?座薬!?
仮面ライダーフォーゼのデザインを初めて目にしたときは、多分誰もがびっくりしましたね。(笑)

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イカだの座薬だの色々言われていて (個人的にはイカ派です 笑)、仮面ライダーファンの間では「ダサい」という声が多かった印象だ。
今作のテーマが「宇宙」であることから頭部はロケットを模していて、全身が宇宙服をイメージした結果のデザインとなっているが、それまでの主人公ライダーには珍しかった真っ白なデザインも多くの人々にとっては衝撃だったのだろう。
しかしこのデザインをよくよく見てみると、平成仮面ライダーシリーズの中でも特に攻めた奇抜なデザインに思えながらも、実際には仮面ライダー1号のデザインを引き継いでいる印象である。
まずは、仮面ライダー1号やクウガから楕円型の複眼がしっかりと受け継がれている。
そしてこちらはよく見ないと気づかないかもしれないが、フォーゼには眉毛のような小さな触角があり、デザインにしっかりと落とし込まれている。
宇宙服を意識したハイテクなデザインに昭和ライダーの要素を取り入れて、意匠が凝らされている。
そして何よりも、如月弦太朗のキャラクターや高岩成二さんのアクションと相俟って、非常に可愛らしいデザインになっている。
頭をキュインキュインと撫でる可愛らしいポーズや、両手を上げて「宇宙キター!」と叫ぶポーズが印象的である。
また、眉毛のような小さな触覚や、顔の左右にあるロケットの尾翼が耳のようで、これもまた可愛い。
だが、フォーゼのデザインで特記すべきこととして、伝統の涙ラインがなくなったという点がある。
この点に関しては、フォーゼのデザイナーである田嶋秀樹氏が次のように言及している。
ライダーが泣いているようにみえる「涙ライン」といわれる線です。これまでのライダーのマスクには、ほぼすべてにこのラインがありました。仮面ライダーは同族(怪人)と戦わなければならない運命を背負ったヒーローですから、その悲しみをデザインに投影して、仮面に涙が描かれているんですね。いままで伝統的につけてきた記号なので、つけるか否か最後まで迷ったんですが、フォーゼではあえてこれをなくしました。
企画自体が飛びっきり明るい学園宇宙もの!というものですし、ちょうど僕の誕生日の3月11日にあんなに大きな震災があって、みんな笑顔をなくしている時期に正義の味方が泣いてちゃダメだろうと。こんな時代だからこそ、仮面ライダーは元気や笑顔を届けなきゃいけない。そんな理由があって、伝統の涙ラインは今回なくしました。フォーゼに関しては泣かせたくなかったんです。
この話は仮面ライダーファンの間ではすっかり有名な話となっているが、 仮面ライダーフォーゼのデザインは『仮面ライダーフォーゼ』の放送時期にしっかりと合わせて時代を反映したデザインとなっていることが分かるだろう。
スイッチ・オン!
『仮面ライダーフォーゼ』のキーアイテムとなっているのが「アストロスイッチ」である。
『仮面ライダーW』の「ガイアメモリ」と『仮面ライダーオーズ』の「オーメダル」に続き、ベルトや武器と連動する「収集アイテム」として登場した。
本作では40周年記念作品であることにちなんで40個のアストロスイッチが登場したが、この頃からすっかりと収集アイテムの数が過多になり、「小物商法」が着実に平成二期シリーズに定着してきていた。
しかし、今作のアストロスイッチは、その40個という膨大な数を「モジュールシステム」という形で消化 (という言い方には少し語弊があるかもしれないが) したという点において画期的である。
『仮面ライダーW』のガイアメモリと『仮面ライダーオーズ』のオーメダルはどちらも変身するフォームを決定づけるアイテムとして登場した。
だが今作ではそのようなアプローチから離れて、アストロスイッチをフォーゼの四肢に装着する「装着型武器 (モジュール)」を転送するギミックとした。
この「装着型武器」は前作『仮面ライダーオーズ』に登場した仮面ライダーバースのCLAWsの発展形で、モジュールをアストロスイッチに紐づけることによって40個のアストロスイッチという設定を有効に活用した。
そして、一部のスイッチでは、ステイツ (フォーム) チェンジが可能になっている。
10番のエレキスイッチでエレキステイツに、20番のファイヤースイッチでファイヤーステイツに、30番と31番のNSマグフォンでマグネットステイツに、40番のコズミックスイッチでコズミックステイツに変わることができる。
このように、ステイツチェンジ用のスイッチの数を絞りつつ残りをモジュールに割り当てることによって、過去二作で過多になりつつあったフォーム数を抑えつつも、そのフォームの上にモジュールを装着することによってライダーの能力を拡大していった。
如月弦太朗の「友情」
『仮面ライダーフォーゼ』の主人公である如月弦太朗の友情へのこだわりが今作では際立っていて、本作の主なテーマともなっている。
今作は2011年3月11日に起きた東日本大震災後に初めて登場する、一番手という立ち位置にあった。
震災後、日本全国が一丸となって被災地の復興を願い、多くの人が救助活動に尽力したほか、アメリカ (トモダチ作戦など) や台湾、トルコなどの支援もあった。
そんな人と人とのつながりが被災地や日本に大きな力を与えてくれたからこそ、震災後一番手の作品である『仮面ライダーフォーゼ』のテーマとして「友情」は実に相応しかったと考える。
友達のシルシ
「俺は天ノ川学園の全員と友達になる男だ!」
そう宣言する弦太朗は、学年や学年ヒエラルキー、先生や生徒の立場関係なしに友達を作る。
そして、ゾディアーツスイッチ所有者とまで友達になってしまうことが今作の一つの大きな特徴でなかろうか。
ゾディアーツスイッチに手を出してしまった人の多くが天ノ川学園高校の生徒であり、自身の欲求や願望を満たそうとする一種の「若気の至り」である。
例えば同様に人間が怪人に変身する『仮面ライダーW』では、ガイアメモリ所持者は事件解決後には警察に身柄を拘束される。
しかし今作のゾディアーツスイッチ所持者の多くが未成年者であるためか、そのような処罰を受けず、弦太朗を通して更生し、最終的には友達になる (友達にはならないケースもあるが)。
そしてその友情の証として、弦太朗は「友達のシルシ」という握手を交わす。
この「友達のシルシ」の面白い点は、双方向の友情が成立していないと決して交わされないところにある。
例えば、『45話 天・秤・離・反』で、速水校長がそれまでの行為を反省してホロスコープスを裏切ったと言い、弦太朗と友達のシルシをしようとする。
弦太朗「あんたは必死だ。言ってることは信用できねぇが、必死で蘭を守ろうとしてた。その態度は信用できる。今日からあんたも俺のダチだ。」
しかし、賢吾によってたまたま友達のシルシが阻害されて、結局交わすことなく終わってしまう。
次の『46話 孤・高・射・手』では、結局速水は改心しておらず演技をしていただけであることが判明するが、演出上一貫して双方向の友情成立を現すための手段として友達のシルシを使っていたことが巧妙に思えた。
スイッチと友情
私が特に感心したのが、アストロスイッチと弦太朗の友情の描写が同時並行で非常に綺麗になされていて、かつ物語上しっかりと意味があったことである。
『5話 友・情・表・裏』と『6話 電・撃・一・途』では、周りの人をとことん利用しようとするJKに弦太朗も裏切られる。
そんな癖のあるJKと、癖のあるエレキスイッチの両方を弦太朗を受け入れようとして、エレキステイツに変身できるようになる。
『9話 魔・女・覚・醒』と『10話 月・下・激・突』では、友子がゴスのメンバーと共に学園への復習を企む。
そんな友子に弦太朗は「今のままでいい」と言い、友子のすべてを受け入れようとして、その回に登場したファイヤースイッチはまるで呼応するかのように熱攻撃を吸収する。
『19話 鋼・竜・無・双』と『20話 超・絶・磁・力』では、流星の仮面ライダー部内での役割をめぐり賢吾は弦太朗に嫌気が差す。
そんな彼らの関係を、流星はマグネットスイッチに例える。
流星「君たちはマグネットだよ。(マグネットのN極同士くっつけようとする) ほらこうすると、同じ力だと反発する。さっき『あいつのために』、って言ったでしょ?如月くんも同じことを僕に言った。」
賢吾「そんな… あいつも…」
流星「それが君のプライドを傷つけるとは思わなかった。如月くんの罪はそれだけでしょ?君の気持ちが少し変われば (マグネットのN極をS極に持ち変え、マグネットがくっつく) …ね。結び合う。」
このように友情をアストロスイッチに強く紐づけることによって、「仮面ライダーフォーゼ=友情パワー」という公式が成り立っていたのはテーマを際立たせる非常に綺麗な演出だ。
友達の選別
弦太朗は「全員と友達になる男」だと自称しているのにもかかわらず、友達になる人間を選んでいる。
弦太朗が入学して間もない頃に、JKが友達になろうとしてきた際の弦太朗の台詞から見て取れる。
弦太朗「お前と友達になるのは一番最後でいいや。」
(『5話 友・情・表・裏』より)
では、何故この時の弦太朗はJKを拒絶したのか?
流星と弦太朗の友情関連の話を見ると、弦太朗なりの友達の定義が見えてくる。
天ノ川学園に編入してきた仮面ライダーメテオこと朔田流星。
弦太朗の友情を「安い友情」と揶揄しているのにもかかわらず、アリエス・ゾディアーツを探すために弦太朗が率いる仮面ライダー部への入部を試みる。
しかし、弦太朗は流星が本心で接していないことを見抜き、入部に反対する。
弦太朗「お前… 何で笑わねぇの?(中略) 最初に会った時からずっと感じてた。お前愛想はいいけど、一度も笑ってねぇよな。」
流星「どういうことかな?」
弦太朗「ここにいる連中とは最初は激しくぶつかり合った。ぶつかって、お互い本当の顔が見れた。だから一緒に戦える。でもお前は、笑顔どころか本当のお前を一度も見せてない。それじゃライダー部は無理だ。」
(『18話 弦・流・対・決』より)
弦太朗は、心を通わせて本心で向き合える人のことを友達と認識していることがここから見て取れる。
この定義は、『31話 昴・星・王・国』でも再確認できる。
この回で、流星は遂にアリエス・ゾディアーツのスイッチャーである山田竜守を見つける。
しかし、アリエス・ゾディアーツの力を借りることと引き換えに、流星は弦太朗を殴り心停止させてしまう。
流星「俺は山田と手を組んだ。二郎を救うためには、どうしてもアリエスの力が必要なんだ。」
弦太朗「そうか。話が繋がった。こうやって本気で戦って… 初めてお前と語り合えた気がするよ。流星。」
流星「如月。」
弦太朗「お前の本当の心… 本当の想いが受け止められて… 嬉しいぜ。例えそれが… 殺意でも… なっ。」
(『31話 昴・星・王・国』より)
そして32話で弦太朗は、仮面ライダー部との「絆の力」で復活。
その際に、弦太朗と流星は友達のシルシを交わし、二人の友情が漸く成立する。
流星「如月… 生きていたのか!お前に取り返しのつかないことを… なんて詫びればいいんだ…?」
弦太朗「なんだそりゃ!別に詫びることなんか一つもねぇだろ!お前も俺も、ダチを助けるために全力で戦った!そんでお前が勝った!ただそれだけじゃなぇか!友情の真剣勝負ができるのはいい奴の証だ!」
流星「如月…」
弦太朗「お前は俺のダチだ… 流星。もう一点の曇りもねぇ。みんなも分かってくれたよな?本当のこいつを。」
(『32話 超・宇・宙・剣』より)
確かに、弦太朗は心を通わせて本心で向き合える人でなければ友達にはならない。
ある意味、友達の選別を行なっている。
「全員と友達になる」という理想を掲げながらも、それを行動に移す際には現実世界の人間と同じように、友達を選別する人間として描かれている。
人間には誰しも好き嫌いがあるのだから、弦太朗も友達を選んでしまうのはある意味当然なのかもしれない。
如月弦太朗の価値観
ある日偶然フォーゼに変身することになった弦太朗は、なぜ最後までゾディアーツと戦ったのか?
その答えは、弦太朗たちが修学旅行で京都へ行った際に、ユウキが同級生の優希奈と交わした会話にある。
ユウキ「たとえフォーゼじゃなくても、弦ちゃんは一緒だよ。」
優希奈「え!?」
ユウキ「友達が危ない時は、身体を張って助けてくれる。それが弦ちゃんの『普通』なの。」
優希奈「弦太朗の… 普通…」
ユウキ「だからゾディアーツが出る限り、仮面ライダーになって戦うのが弦ちゃんには普通なんだよ。」
(『34話 天・穴・攻・防』より)
この会話から分かるように、弦太朗は友達を守るためにゾディアーツと戦っている。
友達を大切に思う気持ちがあるからこそ、これが弦太朗が戦う理由になっているのだろう。
戦うべき相手であるゾディアーツが、弦太朗が友達になると宣言している天ノ川学園の生徒でもある、という事実は一見矛盾しているように思える。
だが、ゾディアーツスイッチはスイッチャーの感情や人格が歪めて、心の「黒い部分」を増幅さえる、ということを忘れてはならない。
逆に言えば、スイッチを剥奪してしまうと本来の感情や人格を取り戻すことは可能だ。
よって弦太朗は、ゾディアーツスイッチの影響で歪んでしまった感情や人格と戦うことで、生徒の本来の感情や人格を取り戻そうとした。
そして、本来の感情や人格を取り戻した生徒を友達として受け入れる。
それが、TVシリーズにおける弦太朗の基本的なスタンスだ。
しかし、元から歪んでいる者が友達を傷つける場合、弦太朗は容赦なく倒す。
というのも、人々の中に内在する「心の黒い部分」を受け止めるほどの寛容さを弦太朗は手に入れていないからである。
その代表例は二つある。
一つ目は、『仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!』でのキョーダインだ。
仮面ライダー部を裏切り、ブラックナイトを倒してしまったキョーダインを、弦太朗は許すことなく撲滅してしまう。
弦太朗「てめぇら許せねぇ!(中略) っしゃー!頭にキター!」
(『仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!』より)
そして二つ目は、ジェミニ・ゾディアーツ=闇ユウキが生まれてしまう回 (『43話 双・子・明・暗』と『44話 星・運・儀・式』) だ。
弦太朗は、ユウキの消滅を防ぐために、闇ユウキを撲滅しようとする。
つまり、弦太朗は友達であるユウキを守るために、ユウキの「黒い部分」を打ち砕くことで乗り越えようとする。
弦太朗「誰の心にだって、そりゃ黒い部分はある。でもな、それをお互い乗り越え合うためにダチはいるんだ。打ち砕いてやるぜ、ジェミニ!」
(『44話 星・運・儀・式』より)
元ゾディアーツとは友達になるのに、キョーダインや闇ユウキとは友達にならないのは、一見すると弦太朗のダブルスタンダードに思えるかもしれない。
だが、キョーダインはゾディアーツとは違い、スイッチの力で歪められたわけではないため「純粋に黒い」存在だ。
また、闇ユウキもユウキの闇部分のみで構成されているゾディアーツなので、こちらも「純粋に黒い」存在だ。
そのような「純粋に黒い」存在は、「黒い部分」を受け入れられない弦太朗にとっては排除の対象でしかないため、撲滅するしかなかったのだろう。
弦太朗は「全てを受け止める」と豪語しながらも、人の中にある「黒い部分」は否定する。
このような矛盾を抱えていた弦太朗は、我望理事長と対峙した際に漸くその矛盾から解放される。
我望理事長=サジタリウス・ゾディアーツは、友達であったはずの速水校長や賢吾の父までをも駒のように扱う人間である。
我望「君と私が相容れることはない。誰とでも友達になれるなんて言うのは、子供の夢物語にすぎない。」
(『46話 孤・高・射・手』より)
更には、理事長は弦太朗の友達である賢吾の命をも奪ってしまう。
理事長は「弦太朗の友達を傷つける」相容れない存在なので、本来ならば弦太朗が恨んで当然の存在に思える。
しかし、賢吾が残した言葉の影響で、弦太朗の価値観は変わる。
賢吾「最後に、もし俺が我望に消されても彼を恨まないでくれ。」
弦太朗「我望を恨む…?」
賢吾「人を恨むのは君たちらしくない。恨まずにただ我望を止めてくれ。我望の絶望に光を与えてくれ。君たちなら… きっとできる。俺の最高の友人の君たちなら、きっと…」
(『48話 青・春・銀・河』ディレクターズカット版より)
親友である賢吾が残した言葉のおかげで、弦太朗は初めて誰かの「黒い部分」をも受け止めることができた。
弦太朗「あんたは孤独なんだ。俺はあんたの孤独も絶望も全部まとめて受け止める!この身体で受け止める!」
(『48話 青・春・銀・河』ディレクターズカット版より)
勿論、「受け止める=肯定する」ではなく、理事長の「黒い部分」と向き合うことで弦太朗は「全てを受け止める」。
このように弦太朗の寛容さが成長したからこそ、理事長を恨むことなく、最後に「ありがとう」と言いながら卒業キックができたのだろう。
そして、理事長の「黒い部分」である孤独や絶望と向き合った結果、弦太朗が出した答えが「理事長と友達になること」なのだろう。
誰かを傷つける人は止める、という自身の価値観を曲げることは決してない。
だが、相手の「黒い部分」をも受け止めることで真の意味で「全てを受け止める」人間へと成長したのが、最終話での弦太朗だと言えるだろう。
この手で宇宙を掴む
次に、今作のヒロインである城島ユウキの夢と、我望理事長と夢について考察する。
ユウキの子供の頃からの夢は、宇宙飛行士になることである。
ラビットハッチは月面上にあるのだから、もし宇宙に行きたいのであればその夢はすでに叶っているはずである。
しかし、ユウキの夢は自分の力で月行くことであり、他人の力 (賢吾の父の功績) によって月面に行くことは夢を叶える手段ではないと主張。
そのことを、宇宙飛行士選抜試験におけるエリーヌ須田との対決で再確認する。
ユウキ「今度は約束。月と地球の神様に誓ったんだ。自分の力でまたここに来るよ、って。」
(『38話 勝・者・決・定』より)
一方で、『46話 孤・高・射・手』、『47話 親・友・別・離』と『48話 青・春・銀・河』では、我望理事長の野望や動機について語られている。
(特に最終二話については、ディレクターズカット版を観ることを強くお勧めする。)
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我望理事長は子供の頃に宇宙最高の意思である「プレゼンター」の声を聞いていた。
プレゼンターに会いに行くと約束を交わした我望は、その夢を叶えるために天ノ川学園高校でホロスコープスを揃えていた。
しかし我望は、自身の夢を叶えるために周りを利用して、犠牲にしようとする。
我望「私はこれから、地球の生命の代表として宇宙の深淵へ旅立つ。その力を得るために、私はこの天ノ川学園を設立した。私は選ばれた生徒たちにスイッチを配り、ゾディアーツへと進化させた。君たちの愚かなる欲望をゾディアーツとして顕現させることで、私は宇宙へはばたく力を得た。私の進化に協力してくれたこの学園のモルモットたちに心から感謝する。」
(『48話 青・春・銀・河』ディレクターズカット版より)
そして、信頼を寄せてくれていた速水校長までもを夢を達成するための駒扱いにする。
弦太朗「友達はいないといったな?だけど速水は、身を挺してお前を守ったぞ!ダチに助けられたんじゃねぇのか!?」
我望「彼は私という太陽を回る衛星だ。私を守るのは当然のことだ。友達などではない。」
(『46話 孤・高・射・手』より)
そこが、他者を蹴落としてまで夢を叶えようとする我望と、自身の手で夢を掴もうとするユウキとの最大の違いである。
そして、我望の夢は「プレゼンターに会うこと」、ユウキの夢は「宇宙飛行士になること」と、二人とも夢のベクトルが同じ方向を向いていることがまた皮肉である。
結局我望はプレゼンターに会うことに失敗し、弦太朗にその夢を託すこととなった。
一方で、ユウキは夢を自身の手で掴むことに成功し、『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』で宇宙飛行士になっている。
高校×宇宙
今作の舞台は、如月弦太朗たちが通う「天ノ川学園」となっている。
自由な校風であるため個性が強い生徒が多数在籍し、クイーンフェスやプロム、「宇宙飛行士適性試験」などの特殊なイベントが理事長の方針で設けられていた。
一方で、学園ヒエラルキーというアメリカの学校のような風習が根強く存在しているのも大きな特徴である。
そして、弦太朗たちが等身大の高校生活を送る天ノ川学園高校と対照的なのが、もう一つの舞台である「宇宙」だ。
宇宙は万物が属する最大の共同体とも言えるが、月面基地で仮面ライダー部の活動拠点である「ラビットハッチ」や「プレゼンター」がその宇宙共同体に属する要素である。
学校の廃部室のロッカーが月面基地のラビットハッチに繋がっている、という設定だけ聞くとぶっ飛びすぎて意味が分からないですよね。(笑)
だがこの「高校」と「宇宙」という二つの共同体のスケールのギャップこそが、『仮面ライダーフォーゼ』という作品のぶっ飛び具合の根本にある。
学園ヒエラルキー
天ノ川学園高校は、多種多様な生徒たちが在籍していることが一つの特徴である。
そのためか、生徒たちは以下のような小集団に別れて、他のグループとは相入れることなく群れるようになる。
- 「ジョック」= アメフト部に所属する、スポーツマンで人気の高い男 (キングの大文字隼など)
- 「クイーン」 = クイーンフェスで毎年選ばれる、学園の女子生徒のトップ (風城美羽)
- 「バッドボーイ」 = 学園内で立場が低い生徒。トラッシュとも呼ばれる (如月弦太朗など)
- 「ブレイン」 = 学園の優等生 (歌星賢吾、野々村公夫など)
- 「スラッカー」 = チャラい生徒 (JKなど)
- 「ギーク」 = オタク (城島ユウキなど)
- 「ゴス」 = オカルト趣味を持つ女子生徒 (野座間友子、鵜坂律子など)
所属する小集団に応じて学園内での地位が決まるという学園ヒエラルキーが天ノ川学園高校では顕著である。
このヒエラルキーが原因で、自身のグループ外の存在に対しては不寛容になったり、排他的になってしまう傾向がある。
そして学園には制服を常時着用する義務がないのにも関わらずほとんどの生徒たちが青い制服を従順に着ていることからも分かるように、学園に対する帰属意識は割と高い。
だからこそ、天高の生徒たちはその共同体内での立ち位置に関して非常にセンシティブであり、自身の立ち位置を変えようとしたり共同体自体を破壊する動きも現れてくる。
例えば、以下のような人たちがいる。
自身がクイーンを支えるサイドキックスであることに不満を抱き、美羽のクイーンフェスへの出場を阻害しようとする佐久間珠恵。
キングであることを強要する父への反抗心を示すために、父への気負いの象徴である像を破壊する大文字隼。
学園内でゴスが差別を受けていたため、天高を燃やして復讐をしようと試みた鵜坂律子。
また、多くのゾディアーツ事件もこの学園ヒエラルキーに対する不満から生じている。
天高の「カタリスト」
では、学園内で弦太朗や仮面ライダー部はどのような立ち位置にあるのか?
弦太朗は天ノ川学園高校の2年B組に転校してきた生徒である。
そんな彼は青い指定の制服で登校する周りの生徒たちとは違って、常にリーゼントに短ラン (そして冬にはスカジャン) という格好でいる。
大杉先生に制服を着るように叱咤されても弦太朗はこの姿勢を曲げず貫いていて、最早弦太朗のひとつのアイデンティティと化した。
これは、弦太朗が天ノ川学園高校の一員でありながら学園に対する帰属意識が薄く、学園ヒエラルキーなどの天高特有の序列や制度にとらわれない姿勢の表れであると考えていいだろう。
(同じ青い制服を着ている天高の生徒たちとの差別化を図って主人公を画的に際立たせるために制作側が弦太朗を独特の格好にした、という理由も恐らくあるかもしれない。)
もちろん、「俺は天ノ川学園の全員と友達になる男だ!」と豪語しているくらいなので帰属意識を全く持っていないことはなく、寧ろ弦太朗は学園の構成員との心理的距離感を近づけようと常々努力をしている。
ただ、「天ノ川学園高校」という共同体の枠組みにこだわらず、個に対しては個として接してその全てを受け止めるのが彼の姿勢であるのだと考えたらいいだろう。
天高における弦太朗は、外部から来て天高に新たな価値観をもたらすカタリスト的な役割を果たしている。
そしてその新たな価値観というのが、学園ヒエラルキーを超越した「友達作り」による絆である。
つまり、弦太朗は学園の全員と友達になり心を通わすことで、天ノ川学園高校内の人間関係を、共同体にこだわった学園ヒエラルキーから個と個のつながりを重要視する方向へと変えようとしていたのである。
そして仮面ライダー部は、部員が全員天高の生徒であるのにもかかわらず、天高から見たら第三者的な立ち位置にある。
部内には学園のキングとクイーンから、ユウキのようなギークや弦太朗のようなトラッシュまでがいる。
学園内であれば当然ヒエラルキーが機能して彼らが共に過ごすことは恐らくないが、弦太朗との友情により同じ目的意識を持って集まることで学園内の上下関係から脱することができた共同体である。
つまり、仮面ライダー部は学園ヒエラルキーや学年を超えた、弦太朗の理想の共同体であるともいえる。
その心理状態を表しているのが、仮面ライダー部の部室であるラビットハッチが物理的に天ノ川学園高校の外、しかも月面上にあることである。
学園の壁を飛び越えて、最早この地球上にすらないという…(笑)
学園という共同体にこだわってしまうと、どうしてもその性質 (学園ヒエラルキー) に引きずられて、自分とは異質の人たちに対して排他的になる恐れがある。
よって、弦太朗や仮面ライダー部は第三者的な立場に立って、一度ヒエラルキーの外へと出てから共同体を外側から刺激して、小さな共同体にこだわる構成員の意識を変えようと試みるカタリスト的存在として友達作りとゾディアーツとの戦いに励んでいたのだと考察する。
「なんでも受け止める!」
「天ノ川学園の全員と友達になる男」を目指していた弦太朗だが、そんな弦太朗は最終的にどこにたどり着いたのか?
まずは、キョーダインと戦った夏映画の『仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!』での友情を見たい。
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なんと、今作で弦太朗は衛星兵器XVⅡと「友達のシルシ」を交わしてしまう。
弦太朗「俺はお前とダチになるために来たんだ。そのお前が自分で死のうとしてるの、黙ってみているわけにはいかねぇだろ!」
XVⅡ「友達…?私はただの衛星兵器だ。」
弦太朗「ただの衛星兵器じゃねぇ。だってお前、人殺しが嫌なんだろ?」
XVⅡ「だが私がいると人類に危害を及ぼす。」
弦太朗「お前に気持ちがあるんなら、人間だろうが機械だろうが関係ねぇ!俺は… お前を爆発させない。そして… 人類も救う。」
弦太朗は宇宙に飛び出して、人間という種にとどまることなく機械とまで友達になってしまうのだ。
そして最終回である『48話 青・春・銀・河』では、弦太朗は我望理事長 (サジタリウス・ゾディアーツ) を倒した際にプレゼンターに会いに行くことを約束する。
我望「如月君。最後の頼みだ… 君たちがプレゼンターに会え。私ができなかったことを成し遂げてくれ。」
弦太朗「分かった。約束する。」
この約束を受けて、宇宙へ旅立つことを目指して仮面ライダー部は「宇宙仮面ライダー部」へと改名。
そして五年後の『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』では、唯一の部員である美代子を抱えて、教師となった弦太朗が顧問になる。
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その際、超人類になった美代子のクラスメイトである三郎を、美代子は気持ち悪く思い拒絶する。
美代子「私だって戦います。こんな化け物に城島先輩を襲わせない!」
三郎「化け物… か。どうだ、先生。これが旧人類が俺を見る目だ。俺がこの力を持った時から、ずっとそうだ。俺の親も、友達もみんなそうだった!お前たちは俺に怯えてる。」
(中略)
美代子「弦ちゃん、なんで攻撃しないの!?やられちゃうよ!」
弦太朗「みよっぺ、お前にも言いたいことがある。お前には三郎と俺、どっちが苦しんでいるように見える?」
(中略)
賢吾「美代子ちゃん、仮面ライダー部は宇宙の全員と友達になる部活だ。大事なのは、相手を理解することだ。」
三郎「旧人類に… 俺のことが理解できるわけがない!」
美代子「風田君… 私、あなたが怖かった。だから、あなたの気持ちこれっぽちも考えようとせず… ごめんなさい。」
私はこの会話が『仮面ライダーフォーゼ』という作品で弦太朗たちが一年かけて友情を築いて伝えたかったことの集大成だと感じる。
美代子が三郎を拒絶していたのは、自分たち (旧人類) とは異なる容姿や力を持っていたから。
多様性への寛容がなく、「内集団」(人類) とは異なる「外集団」(超人類) に対して排他的な心理故に生じた感情である。
よって、自身を人類 (場合によっては「学園」や「日本」に置き換えることもできる) という共同体の一員としてとらえず、宇宙共同体の一員としての自覚を持つことで相手を理解して受け入れよう、というのが仮面ライダー部が導き出して後輩に受け継がせた一つの「答え」なのではなかろうか。
多くの天ノ川学園高校の生徒や先生は学園という共同体に縛られているために、学園ヒエラルキーの中で生きるしかなくて自分とは異質な人に対しては不寛容であった。
しかし、弦太朗は接する人たちに対して「なんでも受け止める」と最初から一貫して寛容な姿勢で向き合っている。
その姿勢が、人工衛星XVⅡとの友情やプレゼンターの存在の認知などを通して成熟し、最終的に「宇宙共同体」という思想にたどり着くのである。
この考えは、我々にもっと身近なレベルで言ったら人種差別問題などにもつながってくる。
例えば、我々が日本という小さな共同体にこだわっていたら、異なる文化や慣習を持つ人たちに対して不寛容になり排他的になる可能性がある。
だから我々は自身を「地球共同体」として認識し直す必要があり、地球に住む人間全員に対して仲間意識を持ち寛容であるべきだ、というのが我々が今作から受け取ることのできるメッセージではなかろうか。
そしてその思想を、この地球や人間という種を超えて更に拡大したのが、『仮面ライダーフォーゼ』が提示した「宇宙共同体」思想である。
結論
宇宙を舞台に!
仮面ライダーなのに、学園ドラマ!
主人公は、学ランにリーゼント!
ヒーローは、白くてトンガリ頭!『フォーゼ』は、色んな「チャレンジ」に満ちた作品でした。
「チャレンジ」とは「一歩踏み出す」こと。
一歩踏み出すのは、正直しんどいです。
「大体いつものように」その方が楽ですから。でも、私たちの作品『フォーゼ』は踏み出しました。
— 東映『仮面ライダーフォーゼ』公式HP
フォーゼのデザインを初めて見たときの衝撃は忘れられないし、それほど常識を覆すデザインであった。
また、「宇宙」や「学園モノ」という設定からはチャレンジ精神がしっかりと伝わっていた。
一方で、今作の作り方自体は割と保守的であったと考える。
以前書いたこの記事の「結論」で、私は『仮面ライダーW』が提示した平成二期作品の指針を書いた。
『仮面ライダーフォーゼ』は、私が挙げた全ての条件を満たしており、平成二期シリーズの中で言うとかなりの「優等生」であると考えている。
しかし、仮面ライダーシリーズがコンテンツとして肥大化し、ノウハウが蓄積された時期に作られた作品であったため、そのような保守性は仕方ないと考えるし、決して悪いことだとも思わない。
初見のインパクトこそあるが、安定した作りや平成二期シリーズ特有の明るさで、震災後の暗い日本の日曜の朝を明るくしてくれた。
尚且つ、「友情」「夢」「寛容」という、メインターゲットの子供にも馴染みのあるテーマをしっかりと描き、強いメッセージを提供してくれた。
挿入歌の一つであるAstronautsの『Giant Step』の歌詞を思い出してほしい。
確かに作り方は保守的だったものの、「仮面ライダー=子供に元気を与える番組」だということを再認識させてくれる作品となったと考えると、今作の一歩は偉大な一歩であり後続の仮面ライダーシリーズに大きな影響を及ぼしたと考える。
だからこそ私はこの作品が大好きであり、観ると自然と元気が出る。
ネット上で「フォーゼは薄っぺらい!」という意見をよく見かけて凹むが、そのような意見を持つ人こそ今一度、この記事の考察を踏まえながら再視聴してみるのは如何だろうか?
全体像を掴んで観てみると、きっとこの作品のメッセージがより染みるだろう。
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