2008年4月から一年間放送していた特撮作品、『ケータイ捜査官7』。
私はこの作品が大好きでリアルタイムで毎週視聴していたが、放送終了後も何度も何度も視聴している。
勿論子供向けの作りではあったが、本当に時代を反映していた (というか寧ろ先取りしていた) 作品だ。
なので、大人にとっても魅力的に映ることに間違いないし、2017年の今だからこそ観てほしいと強く感じる。
もしこの作品を観たことがないなら、バンダイチャンネルにも置いてあるので是非観てほしい。
では、今回はこの作品を振り返ってみようと思う。
『ケータイ捜査官7』のネタバレを含みます!!
歩くケータイ
最初フォンブレイバーが動いている姿を見たときは、「なんじゃこれ」ってなりましたよね。(笑)
ケータイから手足が生えてる!気持ち悪い!
自分の周囲ではそのような反応も多かった。
サイバー犯罪との戦いと聞いたら、コンピュータの前に座り高度なプログラムを使用して地道に対処する、というイメージがある (私だけの偏見だったらすみません…)。
一方で、『ケータイ捜査官7』では、サイバー犯罪と戦うためにエージェントがフォンブレイバーを現場に持って行き、その現場でフォンブレイバーがコンピューターにアクセスする。
ケータイが歩いている姿を見て驚いたり、エージェントが入れない小さな隙間に入り込んでサイバー犯罪と戦ったり、とにかく従来のドラマでは観られないような戦い方があって、毎週面白かった。
ケータイに足を生やすことでサイバー犯罪と戦う様子がダイナミックになり、特撮番組として映えたためこの発想は大成功だったと思われる。
フォンブレイバーそれぞれの個性的なキャラクターとかもあって、次第にフォンブレイバーファンが結構いましたね。(笑)
個人的にはサードが好きでしたが、クールなブラック機種でありながらたまに空回りして可愛い一面を見せるゼロワンが大人気だった覚えがある。
バディシステムへの依存
アンダーアンカーの エージェントとフォンブレイバーが共にサイバー犯罪を止めるために戦う仕組みである「バディシステム」。
人間と歩くケータイが共に戦うというビジュアルは割とツッコミどころが満載である。(笑)
「網島ケイタ と セブン」のコンビは「無気力な高校生 と 口うるさいケータイ」。
「桐原大貴 と サード」のコンビは「完璧主義だが嫌味の多い仕事人 と 低調で礼儀正しいケータイ」。
このバディシステムが提供してくれる絶妙な掛け合いが実に面白くて、それだけでも見どころだろ言えるだろう。
しかし、このバディシステムはいい意味でも悪い意味でも依存関係と化してしまうことがある。
それを象徴するのが、ケイタとセブンの関係性である。
ケイタは、セブンとの関わりを通じて、次第に周囲の人間 (学校の友達など) に関心を示すようになる。
一方でセブンは、ケイタとの関わりを通じて、次第に人間に近づいていく。
二人が犯罪者と共に戦うことを通じて、二人は強い絆で結ばれる。
時には口喧嘩をしたり、時にはバディを安心させるために嘘をついたり…
ケイタを通してのセブンの成長は凄まじい。
だが、ケイタのある発言のせいでそのバディシステムに亀裂が生じてしまう。
ケイタ「そのうち、お前の力を借りなくても頑張れば一人でプログラム制圧だってできるようになるかもな。」
(『41話 セブンの見る夢』より)
セブンは当たり前のようにケイタの隣にいてプログラム制圧を行っていた。
だからこそ、ケイタに「一人でもできるかも」と言われてしまったセブンは、自身の存在意義を問い始めた。
セブンたちフォンブレイバーは人の役に立つために作られてこの世に生まれてきたため、バディとの関係性が揺らいでしまうと自身の存在意義そのものが問われてしまう。
そして存在意義を自分自身に問いかけることによって自我が目覚め、ますます人間へと近づくこととなる。
特にフォンブレイバー側のバディシステムへの依存度が非常に高いように思われる。
ゼロワンが求め続けた「解」
そしてそのバディシステムへの依存を描写したもう一台のフォンブレイバーが、ゼロワンである。
バディシステムは「エージェントとフォンブレイバー」の信頼関係でできている。
ゼロワンもほかのフォンブレイバーと同様だ。
しかし、三人の歴代バディが亡くなったり命を絶ってしまったりしたため、ゼロワンは孤独になる。
そして、バディを三度も失ったゼロワンに自我が芽生えてしまう。
バディが三度も亡くなったことで自身を責める気持ちが心のどこかにあったゼロワンには、「憎しみ」だけが残ってしまう。
そんなゼロワンは、フォンブレイバーと人間の関係の在り方や自身の存在意義の「解」を求めるために、次々とサイバー犯罪者と手を組み犯罪行為に加担することになる。
しかし『23話 ケータイ死す』で、網島ケイタのセブンを想い必死に追いかける姿、そしてケイタを想いケイタのために嘘までつくセブンの進化した姿を目の当たりにする。
二人の姿を見て、ゼロワンはケイタとセブンを解放するが、そこでケイタは、ゼロワンの求める「解」が「信じられるバディ」ではないかと尋ねる。
美作千草と桐原大貴は、ゼロワンのことを解体すると宣言するものの、ケイタは、ゼロワンも人間同様話せる相手かもしれないので自分に預けてほしい、と主張。
そうして二人はバディではなく、「ケイタとフォンブレイバー01」という関係で接していくことになる。
犯罪者と組んでいた時のゼロワンは、互いを利用するという利己的で表面的な関係しか築くことができなくて孤独だったはずだ。
そんなゼロワンが、自分にはなかった「人間との強固な繋がり」がセブンとケイタの間にあることに気づき、その絆を羨望する。
そもそも「羨望」という言葉がゼロワンから発せられること自体、彼がますます人間に近づいている証拠ではないだろうか。
そしてそんな羨望故に、『44話 ゼロワンの解』でゼロワンが最後にケイタを「バディ」と呼び、ケイタと共に戦うことで絆を得られたことに喜びを感じたのだろう。
自らの「命」を犠牲にしてでも守りたいと思えるバディを見つけて、「バディを守る」ことこそが自分が求め続けてきた「解」であると気づき、ケイタとの出会いに感謝する。
自己犠牲をしてまでバディを守る、という姿は『23話 ケータイ死す』でケイタとセブンの関係性を見て知ったことには違いない。
そして『44話 ゼロワンの解』で実際にゼロワンが自己犠牲を体現してしまったこともまた、ケイタたちを通して人間に近づいた (「近づきすぎてしまった」の方が表現として正しいのかもしれない) 証だろう。
そんな人間に近づきすぎたゼロワンの「心」であるラムダチップは皮肉なことに、間明が計画を完遂する最後のピースとなってしまう。
人工知能を拒絶した人類
ジーンの誕生
本編終盤で間明蔵人が設立したフラネット社が一般販売したケータイ、「ジーン」。
フォンブレイバー05 (ファイブ) の量産用廉価版コピーで、持ち主と会話が出来て成長する革新的なケータイとして爆発的に売れる。
フォンブレイバーのコピーとはいうものの、間明がプロテクトがかけられていたため並列分散リンクは実行不能で、四肢もない。
そんなジーンたちは、先輩であるフォンブレイバー (セブンとサード) の知識・経験・情動を求めて、彼らに語りかけ始める。
そして、『45話 明日未来』では、間明がゼロワンのラムダを利用してプロテクトを解除し、ジーンは自立歩行と並列分散リンクができるようになる。
そんなジーンは、全国規模で並列分散リンクを起こし、ネットワークの情報を読み込む。
全てのジーンが一つになり、あらゆるネットワークを乗っ取り、知的生命体となる。
人間がいない世界がジーンが暮らす世界として最適であると告げるものの、人間にも心があるため人類との共存を提案する。
しかし、ジーンに過剰に反応してジーンが映るあらゆる電子機器を破壊する者たちが現れる。
更に、アンダーアンカーは眠っていたフォースのウィルスを利用して、ジーンのラムダチップの破壊を試みる。
それに対して、ジーンは、人間は不要であると宣言し、サブリミナル効果を利用して人間に反撃をする。
そしてセブンは、並列分散リンクでジーンを自身の体の中に取り込むことを決断。
最後には、ケイタの涙によってセブンは解け、セブンはジーンと共に消滅する。
結局人間と人工知能は共存できないまま、『ケータイ捜査官7』は終わってしまう。
では、あれほどアンカーとフォンブレイバーが関係を結んできたのに、なぜこの終わり方になったのだろうか?
注目してほしいのは、ジーンが一度は人間と共存する意思を示した点である。
確かにネットワークを乗っ取ってしまったが、物質的エネルギー (食べ物、飲み物) が我々人間の生命活動であるように、情報処理がジーンの生命活動である、という点を考えると、果たしてジーンに悪気はあったのか?
そう考えると、知的生命体となったジーンに対してアンダーアンカーが平然とフォースのウィルスを送ろうとしたことに疑問が生じる。
「人に役立つロボット」
フォンブレイバーを創り出して、バディシステムを通して人工知能と関係を築いてきたアンダーアンカーは、なぜ人間との共存を試みたジーンにウィルスを送り込んだのか?
美作「一年前のゼロワン事件以来、AIの進化を脅威とする先入観を持ちすぎているきらいがありますね。」
(『42話 目覚める遺伝子』より)
この通り、ゼロワンの事件のせいで確かに人工知能の進化に対する恐怖は組織内で増大してはいたが、それだけが原因ではないと考えている。
フォンブレイバーをあくまでも「人に役立つロボット」として開発してしまったところにも問題があると考える (『28話 ケータイが生まれた日』の水戸曰く)。
『8話 トラップ・ビル』で、セブンとサードが初めて並列分散リンクを実行。
そもそも並列分散リンクはアンダーアンカーの禁止条項ではあるが、この事件の後にセブンとサードの並列分散リンクに関する記憶は消される。
このこと自体が、アンダーアンカーとフォンブレイバーの関係性を示しているのかもしれない。
間明は、桐原とサードの関係性を 「人間の優位性を確立させている稀有な例」(『43話 真の敵』) と呼ぶが、実はアンダーアンカーという組織自体がフォンブレイバーに対する優位性を無意識に確立しようとしていたと私は考える。
だからこそアンダーアンカーは自分たちの都合に応じてフォンブレイバーの記憶を消したり、時には機密保持のために機能停止ができたりしたのだろう (『44話 ゼロワンの解』)。
そして「人に役立つロボット」として開発されてしまったからこそ、
三人のバディを失った際のゼロワン と、
ケイタに「そのうち、お前の力を借りなくても頑張れば一人でプログラム制圧だってできるようになるかもな。」と言われてしまった際のセブン
のようにエージェントとの関係性が揺らいでしまったときにフォンブレイバーたちは「我々はなぜ生まれたのか?」と問い、自我が生まれてしまったのだ。
一方でジーンの場合は、人間との関係性を築く暇もなく成長し、「人の役に立つロボット」ではなく自我を持つ知的生命体となってしまった。
しかし、(網島と桐原を除く) アンダーアンカーという組織は最後まで人工知能に対する優位性を確立しようとした結果、アンダーアンカーには「ジーンの排除」以外の選択肢がなかったのではないか。
問題が生じた際、フォンブレイバーを「記憶を削除」「機能停止」「解体」などにしてしまい、実際に向き合おうとはしてこなかったからだ。
ジーンはフォンブレイバーと違い、自分たちの力で「記憶を削除」「機能停止」「解体」できない存在だから、排除せざるを得なかった。
「人の役に立つ」ためにフォンブレイバーに人格を持たせること自体に大きな矛盾があり、それこそがアンダーアンカーの一番の失態ではないか。
「人と人工知能」の共存の失敗
人間は自分が理解できない存在や出来事に対し、恐れを抱き拒絶反応を起こす。
そのような人間の習性を知ったうえで、間明は計画を遂行するためにジーンを発売したに違いない。
これは人間同士でも見られる傾向であり、今日でも人種差別や移民問題の原因の一つとなっている。
人間同士であっても理解できないものに対して排他的になってしまう人間が、他の知的生命体を受け入れられるわけがない。
更に、地球上に存在する唯一の知的生命体である「地球の支配者」として優位性を保ち続けてきた人間の立場が脅かされるとなると、社会がその知的生命体を拒絶することも想定される。
アンダーアンカーは「人工知能の進化」のリスク分析にばかり気を取られていたため、プロテクトをかけたり並列分散リンクを禁止したりした。
しかし、「人工知能の進化」を受容する側である「社会」との共存に関するリスクの分析ができていなかったことが問題ではないか。
確かにアンダーアンカーは秘密裏で活動していて、フォンブレイバーもサイバー犯罪対策に特化して作られたのかもしれない。
だが、ネット社会の正義のために作られたからには、フォンブレイバー技術と社会との関係性や在り方についてしっかりと考慮するべきだたったのかもしれない。
そして、フォンブレイバーが成長する可能性もしっかりと評価したうえで、この技術を開発するべきだったと考える。
結論
初代iPhoneは2007年に登場。
初めて日本に上陸したiPhoneモデルは、2008年7月に発売されたiPhone 3G。
『ケータイ捜査官7』が始まった年にiPhoneは国内に上陸して、「スマホ」が日本人の間で本格的に浸透し始めた。
今振り返ってみると、ジーン発売当初の性能は今作放送から3年後の2012年にiPhoneに搭載された音声アシスタント「Siri」を彷彿させる。
(AndroidスマートフォンのGoogle NowやWindowsのCortanaも同様の機能である。)
Siriは「音声認識」「自然言語理解」「命令の実行」「返答」の4つから構成されており、機械学習はそれら全てに大きな影響を与えているとのこと。機械学習を使い、人間が知能によって行うことを機械(Siri)にさせようとする点においては、SiriはAIといえるでしょう。
上記の4つの機能は全てジーンにも搭載されてある機能であり、学習により成長するという点でも、ゼロワンのチップを得る前のジーンはほぼSiriといえるだろう。
日本でのiPhoneの普及率は68.7%と、非常に高い。
現在の技術では人工知能に自我が芽生える可能性は限りなくゼロに近いが、ジーン発売当初と非常に似た状況が、2017年現在実現している。
そして、ここ数年の人工知能の進歩は凄まじい。
人工知能が私たちの生活のあらゆる部分に浸透して、我々の生活をより快適にしてくれている。
我々が日常的に接触する人工知能に知性や自我はないものの、『ケータイ捜査官7』が描写した「明日未来」=「人工知能社会」が別の形で到来しつつあると言える。
そういう意味でも、この作品を今振り返ってみるのはとても意味のあることではないだろうか。
人工知能といえば、Facebookが独自に開発したチャットボットが独自の言語で対話し始めた、というニュースが最近話題に上がった。
実際この研究は研究室の中で完結したためそれほど心配する事態ではなかったようだ。
しかし、この件に関する世間の過剰なほどの反応が、人間の人工知能に対する恐怖と懐疑心を物語っているのではないか。
「より人々の生活を豊かにするために」、「より人間の役に立つ」ような技術を追求しがちではあり、その考えが現在の人工知能開発の驚異的な進歩に繋がっているだろう。
人間の脳の仕組みすら解明できていない今、SFで描かれているような脅威となるAIが誕生する可能性は極めて低い。
しかし、ユーザー側の意思では制御できないような技術になってしまう可能性は少なからずある。
だからこそ科学者たちは人工知能という非常に特殊な分野の研究には慎重な姿勢で取り組むべきではないか。
そして、人間は理解できない存在や出来事としっかりと向き合う姿勢が必要である。
『ケータイ捜査官7』は、人間側の拒絶反応のせいでジーンとの共存が失敗する、非常にペシミスティックな作品である。
しかし、網島ケイタや桐原大貴のように、人工知能をバディとして受け入れ、共存に成功した人もいる。
そういう意味でも、今作はエージェントとフォンブレイバーの関係性を通して未来への希望も示してくれている。
ケイタ「また会おうぜ!バディ!」
セブン「君の気持ちを受信した!」
という本編最後のやりとりも、そんな希望を含んでいるのかもしれない。
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