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仮面ライダー・映画・音楽に関する感想と考察。

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感想『スーパーヒーロー戦記』はなぜ二つの”物語“を交わらせる必要があったのか

2021年7月22日に、田崎竜太監督による映画『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』が公開された。


今作は、『仮面ライダーセイバー』と『機界戦隊ゼンカイジャー』の夏の劇場版として製作された。
夏の劇場版の場合、いつもは現行の『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』のそれぞれの単体映画が二本立てで上映される。
しかし、今回は、仮面ライダーセイバーと機界戦隊ゼンカイジャーのクロスオーバー作品として製作された。
今作がクロスオーバー作品になった理由について、2020年の夏に公開予定だった『仮面ライダーゼロワン』の劇場版がCOVID-19の影響で同年の冬に公開延期になったことが影響している旨を、今作のプロデューサーである白倉信一郎氏は以下のインタビューで述べている。

篠宮 作品を締めてくれてるんですね。では、『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』のお話もうかがわせていただきたいと思います。
試写で拝見しましたが、かなり白倉さん節が効いていて、むちゃくちゃ面白かったです! 例年、夏映画はスーパー戦隊・仮面ライダーそれぞれの単体作品でしたが、今回合作となったのはどういった経緯でしょうか?

白倉 最初は、昨年やるはずだった『仮面ライダーゼロワン』の夏の劇場版がコロナ禍でできなかったことからの玉突き事故ですね。ただ、もう一つ、“仮面ライダー50周年”が4月からスタートして、2023年に公開される『シン・仮面ライダー』まで50周年と言い続けるっていう、この長い長いストロークのトップバッターが必要だということがありました。

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このようなことからも、今作は最初は意図せぬ形でクロスオーバー作品になったことが分かる。
ただ、実際に完成した今作を観ると、クロスオーバー作品になった意義は非常に大きかったように思えた。
よって、この記事では、『仮面ライダーセイバー』と『機界戦隊ゼンカイジャー』という二つの“物語”が今作で交わったことの必然性を、今作の感想を述べながら考えていきたい。


セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記 オリジナルサウンドトラック


この記事には、映画『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』や『仮面ライダーセイバー』、『機界戦隊ゼンカイジャー』、その他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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始まりの二つの”物語“

仮面ライダーとスーパー戦隊のクロスオーバー作品は、2012年公開の『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』にはじめ、春の劇場版で『スーパーヒーロー大戦シリーズ』という形でこれまでも多数制作されてきた。
ただ、今作の大きな特徴としては、『仮面ライダーシリーズ』の50周年と、『スーパー戦隊シリーズ』の45周年が重なった「Wアニバーサリー」を記念して制作されたことがある。

「東映って、目を離すとすぐにヒーロー大集合映画を作っている、という風に思われがちなんですけど、実は言うほどやってないんですよね」と笑う。「今年は特に『仮面ライダー』50周年、『スーパー戦隊』45作品記念という特別な年。大きな節目だからこそ、やらなきゃいけないんじゃないかと思いました。ダブルアニバーサリー映画としてはこれが最初で最後の機会かなと、ある種の使命感を持って、作らせていただくことにしました

仮面ライダー×スーパー戦隊「これが最後」という使命感 白倉プロデューサーが語る未来図|シネマトゥデイ


記念作品の映画といえば、纏めることができない『平成仮面ライダーシリーズ』の凸凹でありながら豊潤な歴史を全力で肯定した『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』が記憶に新しい。

ただ、今作は、『平成仮面ライダーシリーズ』だけでなく、『仮面ライダー』から始まった『仮面ライダーシリーズ』と、『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まった『スーパー戦隊シリーズ』の、二つのシリーズの誕生を同時に祝福する必要があった。


『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は『スーパーヒーロー大戦シリーズ』などでコラボしたりすることはあったものの、この二つのシリーズの間には本質的にはかなりの違いがある。
白倉氏は、二つのシリーズの違いについて、以下のインタビューで言及している。

「『スーパー戦隊』にはお約束があり、様式美の面白さを追求するところもあります。『仮面ライダー』もベルトで変身する、ライダーキック、敵の構成など何となく様式はありますが、様式とも言えない。作品ごとに様式を作っています。『『スーパー戦隊』は作品ごとのテーマ、テイストがあっても『『スーパー戦隊』としての様式を立脚点としています」

両シリーズの違いを「不思議なくらい違う。言語化できないところもあるんですよね」とも話す。

スーパーヒーロー戦記:仮面ライダー、スーパー戦隊の違い 紆余曲折の歴史 白倉伸一郎Pに聞く - MANTANWEB(まんたんウェブ)


『スーパー戦隊シリーズ』の作品は、『秘密戦隊ゴレンジャー』や『バトルフィーバーJ』などの過去の作品が確立した様式を立脚点としていることもあり、「スーパー戦隊とはこういうもの」というお約束が多い。
一方で、『仮面ライダーシリーズ』の作品は、作品ごとに様式を作っているため、様々な挑戦をすることができる。


よって、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』におけるウォズの言葉を借りると、『仮面ライダーシリーズ』の歴史が「凸凹」であったと表現するならば、『スーパー戦隊シリーズ』の歴史は割と「舗装」されていたと言える。
それは、今作の冒頭にあるアガスティアベースのシーンでも、スーパー戦隊の禁書が整然と規格も厚さも揃っていたのに対して、仮面ライダーの方は大きさも厚みも装丁もバラバラであることで見事に表現されている。


だが、そこまで違うこの二つのシリーズに共通しているのが、初代のエッセンスを受け継いでいる点である。
『スーパー戦隊シリーズ』の場合、通常は5人組の“集団”ヒーローであることや、戦士が色によって識別されることなどは、最初の作品である『秘密戦隊ゴレンジャー』から受け継いでいる。
そして、『仮面ライダーシリーズ』の場合、ライダーが”個“で戦うことや、変身ベルトを用いて変身することなどは、最初の作品である『仮面ライダー』から受け継いでいる。


『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は、それぞれの原点である『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』があってこそ、この半世紀もの間、シリーズとして続くことができた。
そして、『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』の生みの親である石ノ森章太郎氏を今作でフィーチャーすることにしたことを、今作の監督である田崎竜太氏は以下のインタビューで述べている。

――ストーリーを作られる段階で、映画のテーマをどのように定められましたか。
僕らがやりたかったこと、それはアニバーサリー映画とはいうものの、誰に向かっての記念なのか、誰に「ありがとう」と言えばいいのかという部分を明確にすることでした。そこで、仮面ライダーの原点・仮面ライダー1号、スーパー戦隊の原点・(秘密戦隊)ゴレンジャーというヒーローキャラクターを生み出した石ノ森章太郎先生にアプローチしてみたい、と思って筋書きを考えていきました。

「エピソードの数だけ存在する作り手たちの仕事の歴史を祝いたい」仮面ライダー&戦隊アニバーサリー映画に込めた田崎竜太監督の思い (1) | マイナビニュース

考えてみると、「本」や「物語」を題材にした『仮面ライダーセイバー』がちょうど現行作品であることからも、この「Wアニバーサリー」記念作品において、両シリーズの原作者である石ノ森氏に触れることは必然であったと思える。


そして、そんな石ノ森氏に着目することで、仮面ライダーとスーパー戦隊の両方に共通する“核”となる部分を描いた。
石ノ森氏が創り上げた仮面ライダーや秘密戦隊ゴレンジャーなどのヒーローは皆、「善」でも「悪」でもない、精一杯生きる“人間”であった。
更に、仮面ライダー1号や秘密戦隊ゴレンジャー以降に生まれたヒーローたちも、一人ひとり異なる“人間”として描かれてきた。
だからこそ、そんな“人間”である彼らの“物語”は、シリーズの最初の作品を真似しようとした「二次創作」ではなく、れっきとした独自性のある「一次創作」である。
このように、「善」でも「悪」でもない”人間”を描いているところが二つのシリーズにとっての“核”となる部分であるという、一つの答えを提示したことに「Wアニバーサリー」記念作品としての今作の意義があるように思えた




ただ、今作が描いたその“核”となる部分を完全に無視してしまっていたところが、今作には一箇所ある。
それは、最後に歴代の仮面ライダーとスーパー戦隊のヒーローたちが集結してアスモデウスたち敵陣と戦う中で、ヒーローたちが一人ずつそれぞれの名台詞を発していくシーンである。
このシーンにおいて、代役の声優さんが声をあてていることに不満を覚える声が多かったが、私はその点に関してはそこまでは問題視していない。
どちらかというと、ヒーローたちの名台詞の背景にはそれぞれの作品で描かれた“人間”たちの”物語”があるのにもかかわらず、このシーンでは文脈から外れて機械的に発していたことの方が非常に残念だった。


たとえば、仮面ライダーカブトはこのシーンで、「おばあちゃんが言っていた。悪の栄えた試しはない」という台詞を発している。
これは、仮面ライダーカブトに変身する天道総司が、『仮面ライダーカブト』の25話で銀行強盗たちを撃退したシーンで発した「おばあちゃんが言っていた。この世にまずい飯屋と悪の栄えた試しはない」という台詞を引用したものだ。

元の台詞には「まずい飯屋と」という言葉があるからこそ、天道総司という一人の”人間“の料理に対するこだわりなどが垣間見える、非常に天道らしい台詞になっている。
なのにもかかわらず、その重要な部分を省いてしまったため、天道総司の人間性を無視する形で名台詞をただただ引用してしまったように感じる。


たしかに、ヒーローが全員集結するようなシーンは、ヒーロー大集合映画としての一つのノルマではあるのかもしれない。
ただ、名台詞をただただ文脈から外れて機械的に発するのであれば、何も言わずに無言で戦う方がマシな気がする。
今作が描いた『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の“核”となる部分は非常に納得感のあるものだっただけに、今作のこのシーンでは矛盾する描かれ方がなされたことに関しては、非常に勿体なかったように思えた。


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入れ子構造の”物語“

仮面ライダーセイバーに変身する神山飛羽真は、小説家であるという設定である。
ただ、我々視聴者の視点では、飛羽真たちは『仮面ライダーセイバー』という作品の“物語”の登場人物である。
よって、『仮面ライダーセイバー』という作品は、“物語”を書く小説家である飛羽真が“物語”の中を生きる「入れ子構造」になっていることを、白倉氏は以下のインタビューで指摘している。

 「二大ヒーローが活躍するという立て付けなのですが、『仮面ライダーセイバー』の主人公・神山飛羽真(かみやま・とうま)の物語として筋を通すことを大切にしています。飛羽真は小説家ですが『セイバー』というフィクションの中で、フィクションライターである入れ子構造であることが大きな意味を持っています

<仮面ライダー&スーパー戦隊>伝統芸能になり得るか? 「スーパーヒーロー戦記」の挑戦 白倉伸一郎Pに聞く(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース


今作は、アスモデウスがアガスティアベースにある禁書を解放したことにより、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の様々な作品の物語が混ざり合ってしまった、という設定だ。
自分たちが生きる世界 (『仮面ライダーセイバー』の世界) だけが現実であると錯覚していたものの、『仮面ライダーセイバー』の禁書を見つけたことで、自分たちもその言動が作者によって決められている物語の中の登場人物であることに気づいた。


これは、メタフィクションを絡めたアイデンティティクライシス、と捉えることができる。
たとえば、『仮面ライダーディケイド』という作品が『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーキバ』までの過去の仮面ライダーをコンテンツとして復活させる目的で製作されたことに関連して、『仮面ライダーディケイド 完結編』で、門矢士が紅渡に「ディケイドに物語はありません」と言い放ったという前例はある。
また、最近だと、『仮面ライダージオウ』という作品が『平成仮面ライダーシリーズ』の総括として製作されたことに関連して、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』で、常磐ソウゴが自身の役割が平成ライダーの歴史を収斂させることがであったことに気づかされたという例もある。


今作の序盤で、物語の登場人物を作者である自分が苦しめていることに対する苦悩を飛羽真は語っている。
それを布石として、今作の後半にて、実は飛羽真自身が、石ノ森氏を原作者とする『仮面ライダーセイバー』という物語によって苦しめられている存在であったと明らかになった。
この飛羽真のアイデンティティクライシスは、『仮面ライダーセイバー』の「入れ子構造」を上手く活かして描かれたように感じられた。
今作でそのようなアイデンティティクライシスを描くことの意義については、白倉氏も以下のインタビューでこのように述べている。

特に『仮面ライダー』には、シリーズの大元を作られた石ノ森章太郎先生という原作者がいらっしゃる。にもかかわらず、飛羽真は小説家として、下手すると『仮面ライダーセイバー』という物語を俺が牛耳っている、というつもりでいるかもしれない。「小説家気取りの君は、原作者に対してどう向き合うのか」を、この50周年のタイミングで答えていただきたい、というのが大きなテーマです。そして、『仮面ライダーセイバー』もやっぱり物語の一つだっていうところに、飛羽真自身がどう関わるのか、という映画ですね。

「スーパーヒーロー戦記」白倉プロデューサーに篠宮暁が直撃!「一人ひとりに1年間主役を務められてきた重みがある」 | cinemas PLUS


そんな飛羽真は、賢人とルナと三人で幸せに暮らす「平凡な日常」という“(飛羽真が思い描く) 現実“を見た。
それにもかかわらず、「登場人物が物語から逃げてはならない」と気づいた飛羽真は、物語の中では必ずルナを助けると改めて決意したうえで物語のなかに戻っていくことで、アイデンティティクライシスを乗り越えることに成功した。


この決断は、物語が人々に与える影響力を知っている小説家の飛羽真だからこそ説得力があったように思えた
そして、そう言えるのは、『仮面ライダーセイバー』は1年間をかけて神山飛羽真という一人の“人間”をしっかりと描いてきたからであると言えよう。




更に、飛羽真がアイデンティティクライシスを乗り越えたことで、決め台詞である「物語の結末は俺が決める」に更なる意味が付与された。
これまでのテレビ本編では、飛羽真がこの決め台詞の中で“物語”という表現を使用している理由は特に描かれなかったため、単に飛羽真が小説家であるからそのような表現を好んで使用しているように思えた。
しかし、今作の終盤で、アイデンティティクライシスを乗り越えた飛羽真が「物語の結末は俺が決める」と石ノ森氏に宣言した時には、たとえ自身が物語の登場人物であったとしても作者の想像を超えて生きていくという、いつもの決め台詞が全く違う意味を持つようになっている。


この台詞さえもが作者によって書かれたものだと考えると非常に皮肉なものではあるが、要するに今作は、飛羽真をはじめとする物語の登場人物たちの自由意志を認めている。
そして、登場人物たちが自由意志を持って勝手に動くことができるのは、”人間“の部分がしっかりと創り込まれているからだ。
だからこそ、たとえ作者の手を離れたとしても、登場人物たちは生き続けていくことができる。


その最たる例が、今作にも登場した仮面ライダー1号の本郷猛であると感じる。
本郷猛は、原作者である石ノ森氏がこの世を去ってからも、たとえば2016年公開の映画『仮面ライダー1号』などの様々な作品で活躍し続けた。
メタ的には、石ノ森氏が創り上げた本郷猛という人間を、後継者である作者たちが新たな物語を付与することで生かし続けた。
今作のロジックに当てはめると、それは正に「自由意志を持って勝手に動く」ことを意味する。


飛羽真の「物語の結末は俺が決める」という決め台詞に今作が更なる意味を持たせたことによって、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の“物語”に登場した“人間”たちが作者の想像を超えて活躍し続けてきたことを、非常に説得力を持たせて描くことができたように感じた


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次なる新しい”物語“

『スーパーヒーロー戦記』の本編上映後に、『仮面ライダーセイバー』の次の作品である『仮面ライダーリバイス』の短編映画が上映されるというサプライズが用意された。
仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスの姿は『スーパーヒーロー戦記』のポスターにはいたが、その正体はベールに包まれたままであった。
7月22日に今作が公開されたときは、『仮面ライダーリバイス』の制作発表会すらまだ行われていなかった。
よって、そもそもポスターの二人が新しい仮面ライダーであることや、劇場版に『仮面ライダーリバイス』の短編映画があることも、事前告知は全くなかった。


私は公開初日の朝一番に今作を観に行ったため、『スーパーヒーロー戦記』のエンドロールの後に東映の三角ロゴのオープニングが再び流れた時、私は正直かなりキョトンとしてしまった。
『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』の「MOVIE大戦2010」パート前に二つの東映の三角ロゴを並べるなど、これまでの東映特撮映画は非常に面白い構成上の演出を行ってきた。
だが、今作は東映の三角ロゴの後に何が起きるのかが予想もつかなかったため、非常に斬新であった。


例年の夏の劇場版では、新しい仮面ライダーは映画の途中や映画のエンドロール後に登場して、チラ見せという形で少しだけ戦うことで見せ場を作る。
今作では、既に『スーパーヒーロー戦記』の途中の戦闘シーンに仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスが乱入して戦っていた。
だからこそ、すでに『スーパーヒーロー戦記』に登場していた仮面ライダーリバイスが再びエンドロール後に登場したことにも驚かされたうえ、その映像が20分も続いたことには度肝を抜かされた。


そして、そんな短編映画では、『仮面ライダーリバイス』に関する様々な事実が明らかになった。
主人公の五十嵐一輝と悪魔のバイスが契約した「一人で二人」のライダーであること。
一輝が「しあわせ湯」という銭湯を拠点にしていること。
仮面ライダーリバイスが、バイスタンプというハンコ型のアイテムを使って変身すること。
メガドロンバイスタンプを使うと、仮面ライダーディケイドを彷彿とさせるデザインのメガドロンゲノムに姿を変えること。
仮面ライダーリバイスの専用マシンがホバーバイクであること。
仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスが合体して“超必殺技”を繰り出すこと。


そして何より、一輝やバイスの為人を知ることができた (バイスは人ではないが!)。
一輝が家族を大切にする情熱的な男であり、バイスがお調子者の愉快な悪魔であることが分かった。
私は個人的に、特にバイスのキャラに関しては、映画が終わったときも強烈に印象深く記憶に残った。
このように“人間”を知ることができたのも、通常の夏の劇場版におけるチラ見せとは違い、テレビでいえば一話分に相当する”物語“が描かれたおかげだ
だからこそ、今作を観て、仮面ライダーリバイスに見事に引き込まれてしまった方が多いのではないだろうか。


『仮面ライダーセイバー』や『機界戦隊ゼンカイジャー』目当てで観に来た観客に『仮面ライダーリバイス』の“物語”を半強制的に見せることで、9月から始まる新番組に興味を持たせる、というのは割と巧妙な手法であると感じた。
9月からどのような“物語”が紡がれるのかに期待しながら、『仮面ライダーリバイス』の放送開始を心待ちにしていたい。


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結論

今作は、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の「Wアニバーサリー」記念作品として、二つのシリーズに共通する石ノ森章太郎先生という原作者の存在に迫った。
その結果、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の“核”となる部分は、「善」でも「悪」でもない“人間”を描いているところである、という答えを提示した。


更に、今作は、現行作品の『仮面ライダーセイバー』の主人公の神山飛羽真が小説家であるという「入れ子構造」を活かして、自身が“物語”の登場人物であると言う事実に飛羽真を向き合わさせた。
その結果、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の“物語”に登場した“人間”たちが作者の想像を超えて活躍し続けてきたことを描くことができた。


つまり、「善」でも「悪」でもない“人間”を作品ごとに生み出し続け、そんな“人間”たちには作者の想像を超えて活躍し続ける力があったからこそ、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は半世紀も続くことができ、世代や時代を超えて人々に愛され続けてきた、といった結論を今作は導き出したと考えることができる。
このように、石ノ森章太郎先生が生んだ『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まった『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』が、そこから半世紀もの間続いていくことができた共通の理由を明確にすることができたところに、今作がクロスオーバー作品であったことの最大の意義があると思う


更には、『仮面ライダーリバイス』という次の50年に向けた新しい“物語”を見せてくれたことで、そのような東映特撮ヒーローの強みを今後も未来へと受け継いていくという明確な意思が見えてきた。
これからの『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の未来に期待ができるような、素敵な映画になっていたと思う。





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