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感想『スター・ウォーズ EP9/スカイウォーカーの夜明け』はなぜ駆け足な展開になったのか

2019年12月に、J・J・エイブラムス監督による『スター・ウォーズシリーズ』の最終作『エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』が遂に公開された。


『スター・ウォーズシリーズ』を振り返ってみると、その歴史は40年以上にも及ぶ。
1977年にジョージ・ルーカス監督が製作した『エピソード4/新たなる希望』が大ヒットして以降、1980年の『エピソード5/帝国の逆襲』と1983年の『エピソード6/ジェダイの帰還』を含む三部作のシリーズとして、ルーク・スカイウォーカーがダース・ベイダーに立ち向かう姿を描いた。
上記三部作 (オリジナル・トリロジー) の前日譚にあたるプリクエル・トリロジーも製作され、1995年の『エピソード1/ファントム・メナス』、2002年の『エピソード2/クローンの攻撃』、2005年の『エピソード3/シスの復讐』の三作を通して、アナキン・スカイウォーカーが暗黒卿ダース・ベイダーになるまでの経緯を描いた。


2012年にウォルト・ディズニー・カンパニーがルーカスフィルムを買収して以降、オリジナル・トリロジーの後日譚としてシークエル・トリロジーが製作された。
2015年に公開されたその一作目である『エピソード7/フォースの覚醒』はJ・J・エイブラムス監督が製作し、二作目である『エピソード8/最後のジェダイ』はライアン・ジョンソン監督が製作した。


『エピソード7』はレイやカイロ・レン、フィン、ポー、スノークといった新たな登場人物を紹介しつつ、観客の興味を引き立てるべく数多くの謎を提示した。

そんな中、次作の『エピソード8』はほぼ全ての謎に対する答えを提示してしまった。

例えば、『エピソード7』で謎として提示されたレイの両親の正体や、『エピソード7』では明かされなかったカイロ・レンの闇落ちの経緯は、両方共『エピソード8』ではしっかりと答えられた。


そして、シークエル・トリロジーの最終作であり『スター・ウォーズシリーズ』そのものの最終作である今作の監督に、エイブラムス氏が再び抜擢された。
そんな今作を観た私は、展開が非常に駆け足であるように感じた。
なぜそのように感じてしまったのかを、これまでの三部作やその製作の背景を振り返りながら考察していきたい。


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ベンの救済

アナキンやルークらスカイウォーカー一族が重大な決断を下すうえで、家族の存在が常に鍵となってきた。
アナキンは、『エピソード2』で母シミが命を落としたことへの復讐としてタスキン・レイダーの命を奪ったことでダークサイドへと引き寄せられ始め、更に『エピソード3』で後に妻となるパドメを救うためにダークサイドに堕ちてダース・シディアスの弟子となった。
『エピソード6』では、ルークは父であるダース・ベイダーをライトサイドへと引き戻そうと必死に良心に呼びかけた。
そして、そんなダース・ベイダーは愛する息子のルークを救うためにダース・シディアスの命を奪い、ジェダイに戻った。
このように、「家族」の存在がアナキンやルークにとっていかに大切だったかが分かる。


『エピソード7』からのシークエル・トリロジーでも、スカイウォーカー一族にとっての家族という存在の大きさが一貫してテーマとなっている。
今作では、アナキンの孫でファースト・オーダーの幹部でもあるカイロ・レンことベン・ソロを、ライトサイドとダークサイドの間で彷徨うスカイウォーカー一族の一員として、敵側に配置して描いた。
そんなベンが、叔父さんのルークに命を奪いかけられたことをきっかけにダークサイドに堕ちたことを『エピソード8』は描いた。
そんなカイロ・レンの感情はかなり不安定で、それはプラズマの刃が不安定な彼のクロスガード・ライトセイバーにも表れている。

このように、人間臭くてどこか憎めないカイロ・レンが、個人的にはシークエル・トリロジーの大きな見どころだったと感じている。


『エピソード7』や『エピソード8』では、カイロ・レンにとって「家族」が大きな弱点であることが描かれた。
どれほど家族のことを「過去」とみなして葬ろうとしても、家族とはそう簡単に自分を切り離せない。
ハンの命を奪ったことがカイロ・レンの心が更に乱れたり、レイアへの攻撃を躊躇ったりしてしまったことが、それを象徴している。


そして今作でも、家族の存在がカイロ・レンの決断に大きな影響を与えた。
今作では、母レイアが命を落としたことと、父ハンの幻覚の説得により、ベンは改心して再びライトサイドに戻った。
レイアが自分の命をかけてまでしてカイロ・レンを引き戻したのは、『スター・ウォーズシリーズ』という家族を巡る物語の主要キャラクターの最期としては納得がいく。
また、家族の愛がカイロ・レンの決断に大きな影響を与えた意味では、『エピソード7』や『エピソード8』からカイロ・レンの人物像は一貫していた印象だ。




一方で、シークエル・トリロジー全体を俯瞰すると、今回のカイロ・レンの改心までの道筋が少しぎこちなく思える。
というのも、前作の『エピソード8』はカイロ・レンがシークエル・トリロジーの最後の敵 (ラスボス) となるような方向で製作されたからだ。
『エピソード8』で、それまでカイロ・レンのことを支配していたスノークを、カイロ・レンとレイが倒してしまった。
更には、カイロ・レンはスノークの代わりに自らがファースト・オーダーの最高指導者となって銀河系を支配しようと企んでいることも明らかになった。
このようなことから、『エピソード8』はカイロ・レンが『エピソード9』におけるラスボスになるためのお膳立てをしていたように思えた。


ただ、エイブラムス氏をはじめとする今作の製作陣は、『エピソード7』の製作段階からカイロ・レンは最終的に改心する人物として描く構想があったのだろう。
今作の脚本を共同執筆したクリス・テリオも、インタビューで以下のように述べている。

We felt that right from the beginning, when J.J. established Kylo Ren in Episode VII, there was a war going on inside him and that he had been corrupted by something bigger than himself and had made bad choices along the way. J.J. and I felt we needed to find a way in which he could be redeemed, and that gets tricky at the end of Episode VIII because Snoke is gone. The biggest bad guy in the galaxy at that moment seemingly is Kylo Ren. There needed to be an antagonist that the good guys could be fighting, and that’s when we really tried to laser in on who had been the great source of evil behind all of this for so long.

和訳: エイブラムス氏が『エピソード7』でカイロ・レンのキャラクターを確立させたときからずっと、彼の心の中には葛藤があり、自分より強大な何かの影響で落ちぶれてしまい、そのせいで間違った選択をしてきたのだと感じていた。私とエイブラムス氏は、彼を救う方法を見つけ出す必要があったが、『エピソード8』の最後でスノークがいなくなったのでそれが難しくなってしまった。その時点では、銀河系最大の悪はカイロ・レンになってしまっていた。良い奴らが戦うべき敵が必要だったため、これまでずっと誰が悪の源だったのかを集中して考える必要があった。


'Star Wars' Screenwriter Chris Terrio on Ending the 42-year 'Skywalker' Saga - Awards Daily, 和訳は引用者による


だからこそ、カイロ・レンがシークエル・トリロジーのラスボスとなるように描かれた『エピソード8』の展開は、今作の製作陣にとっては都合が悪かったのだろう。
よって、ファースト・オーダーの最高指導者であるカイロ・レンが改心しても戦うべき相手が残るように、今作では急遽パルパティーンを復活させたり、ファースト・オーダーの上をいくファイナル・オーダーを作ったりしたのだと推察できる。
そして、ラスボスになるべき存在として確立されていた状態と、カイロ・レンが改心するというエイブラムス氏の当初の構想の間のギャップを埋めるために、今作は非常に駆け足で進行したのだろう。


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レイのファミリーネーム

シークエル・トリロジーにおける最も大きな謎の一つは、レイの出自だったといっても過言ではないだろう。
『エピソード7』時点では、レイのファミリーネームが作中では明かされなかったうえ、訓練を受ける前からフォースの技能を使うことができたため、ファンの間ではレイが誰か既存のキャラクターの子孫ではないのかと様々な憶測が飛び交っていた。
ただ、『エピソード8』では、そのような憶測に反し、レイの両親は「何者でもない」人たちだったことが明かされ、謎が解けたと思われていた。
これにより、オリジナル・トリロジーやプリクエル・トリロジーとは打って変わり、シークエル・トリロジーの主人公はスカイウォーカー一族とは無縁の存在といった設定になった。


個人的には、レイが「何者でもない」という、『エピソード8』が提示した答えは結構好きだった。
というのも、既存の有名なキャラクターたちの血筋から『スター・ウォーズシリーズ』を解放し、「誰でも銀河系を救う物語の中心になれる」ことを描くアプローチが非常に斬新だと感じたからだ。
つまり、『スター・ウォーズシリーズ』が「“選ばれし”スカイウォーカー一族の物語」から「血筋に縛られない物語」へと変わることができた。
このアプローチのおかげで、シークエル・トリロジーの存在意義がメタ的にも見出されたようにも感じられた。


一方で、今作でエイブラムス氏は、実はレイがパルパティーンの孫であることを明かした。
エイブラムス氏が『エピソード7』を製作していた時点で、レイ・パルパティーンの構想が実は『エピソード7』製作当初から既にあったことが推察できる。
コルサント出身の人たちが使うイギリス訛りの英語でレイが話していることや、『エピソード7』で使われた「レイのテーマ」というBGMが『エピソード6』で使われた「帝国軍皇帝」というパルパティーンのBGMに似ていたことが、その証拠だ。
ただ、『エピソード8』でジョンソン氏はそういったエイブラムス氏の構想を引き継ぐことなく、観客の「期待を裏切る」予想外の答えを提示した。
そして、以下のインタビューからも分かる通り、エイブラムス氏はジョンソン氏の『エピソード8』におけるアプローチに懸念を示していたようだ。

Abrams praised “The Last Jedi” for being “full of surprises and subversion and all sorts of bold choices.”
“On the other hand,” he added, “it’s a bit of a meta approach to the story. I don’t think that people go to ‘Star Wars’ to be told, ‘This doesn’t matter.’”

和訳: エイブラムスは、「驚きを与え、既成概念を破壊し、色々な勇敢な選択をした」として『最後のジェダイ』を称賛している。
「ただ、これは物語に対するメタ的なアプローチでもある。人々は、『これは重要じゃないよ』と言われるために『スター・ウォーズ』を観る訳ではないと思う」とも付け加えた。


Will ‘Star Wars’ Stick the Landing? J.J. Abrams Will Try - The New York Times, 和訳は引用者による


だからこそ、レイの出自に関する問題は『エピソード8』で解決されていたはずだったのにもかかわらず、『エピソード9』でエイブラムス氏は、当初の構想を実現させるためにレイに新たな出自を付与したのだろう。
レイが異常なくらいフォースを使い込ませていたことを考えるとレイが史上最も強大なシス卿と血縁的つながりがあることは何ら不自然ではないし、寧ろ『エピソード8』が提示した「何者でもない」という答えより説得力がある。


そして、レイの出自が変わっても、『エピソード8』で描いた「誰でも銀河系を救う物語の中心になれる」という『エピソード8』で描いたテーマに関しても、今作でもしっかりと引き継がれていた印象だ
今作では、自身が「悪」であるパルパティーンと血縁的につながっていることを知ったレイが、ダークサイドへの誘惑を断ち切って「善」のために戦った。
これは、たとえどれほど先祖が「悪」だとしても自分の意思次第で「善」のために戦うことができることを表している。
『エピソード8』のテーマに即しつつ、更に新しい解釈を付与してくれた点では、このアプローチもまた非常に面白い。


また、最終的にレイ・パルパティーンがレイ・スカイウォーカーを名乗ったのは、シリーズ最終作と銘打たれた今作の着地点として非常に理にかなっている
というのも、シリーズの原点を辿ると、やはり『スター・ウォーズシリーズ』はずっとスカイウォーカー一族の物語だったからだ。
『エピソード1』から『エピソード3』は、“選ばれし者”としてクワイ=ガン・ジンやオビワン・ケノービらによってジェダイ騎士へと育て上げられたアナキン・スカイウォーカーが、暗黒卿ダース・ベイダーへと変貌を遂げた経緯を描いた。
そして、『エピソード4』から『エピソード6』は、そんなダース・ベイダーと戦った息子のルーク・スカイウォーカーが、アナキンをライトサイドへと引き戻すまでを描いた。
このように、『スター・ウォーズシリーズ』は「遠い昔、はるか彼方の銀河系」の中でも、スカイウォーカー一族であるアナキンやルークたちが活躍した時代や場所に着目して描いてきた。


ルークやレイア、ベンは全員亡くなってしまったことで、今作の最終シーン時点ではスカイウォーカーの血筋が途絶えてしまっている。
そこで、レイアやルークとの関わりを通して、レイ・パルパティーンが代わりにスカイウォーカー一族の精神を受け継いだ。
「レイ・スカイウォーカー」と名乗る最後のシーンは、スカイウォーカー一族の精神が血筋を超えて継承されたことを表している
血筋にかかわらず自分の生き方は自分自身の意思で決められることを伝える、非常にパワフルなシーンだったと感じる。




ただ、よくよく考えると、レイがスカイウォーカーのファミリーネームを名乗ったことには違和感がある。
というのも、「パルパティーン」のファミリーネームは、暗黒卿のシーヴ・パルパティーンだけでなく、レイの両親との血縁をも表しているものだからだ
『エピソード8』では、レイの両親は、飲み代のためにレイのことを売った飲んだくれとして描かれていた。
一方で、今作では、レイをパルパティーンから守るために「何者でもない」人たちを装い敢えてレイを手放した人たちであったことが明かされた。
今回明かされたレイの両親の真相が本当なのであれば、レイが「パルパティーン」のファミリーネームを捨てたことにより、自分を守ってくれた両親との関係性を捨てたことになった。
そのことに気づいてしまうと、観客側はレイが「レイ・スカイウォーカー」と名乗ったことに首を傾げてしまう。


レイが「何者でもない」と明かされた『エピソード8』の状態と、レイが実はパルパティーン一族であったというエイブラムス氏の当初の構想との間のギャップを埋めるために、レイの両親がレイのことを守ってくれたという設定を後付けする必要があったのだろう。
ただ、レイの両親に関するこの話は、今作の中盤で一回持ち出したきりで、それ以降はまるで登場人物や製作陣がそれを忘れてしまったかのように物語が急速に進行してしまった。
そして、結果的に一つの作品内であるのにもかかわらず整合性が取れない状態を作ってしまった。


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死者の口が開いた!

ジョンソン氏が製作した『エピソード8』では、スノークも倒され、レイの出自を含め『エピソード7』で提示されたほぼ全ての謎が解明された。
これは、エイブラムス氏が思い描いていた物語へと繋げるためには非常に都合が悪い状況だったはずに違いない。
そこで、今作でシーヴ・パルパティーンを復活させることで、その両方の問題を解決しようと試みたのだろう。

よって、シークエル・トリロジーでこれまで暗躍していた黒幕であり、レイの出自を握る鍵としても登場した。


パルパティーンの復活について、エイブラムス氏はとあるインタビューで以下のように語っている。

When did you decide to bring Palpatine back? Was this discussed during The Force Awakens? Or was this more because Snoke is gone?

Well, when you look at this as nine chapters of a story, perhaps the weirder thing would be if Palpatine didn’t return. You just look at what he talks about, who he is, how important he is, what the story is — strangely, his absence entirely from the third trilogy would be conspicuous. It would be very weird. That’s not to say there was a bible and we knew what happens at every step. But when Larry Kasdan and I worked on The Force Awakens, we didn’t do it in a vacuum. We very purposely looked at what came before. We chose to tell a story that touches upon specific things and themes and ideas that we’ve seen before, to begin a new story. But we examined all that came before to ask where does this feel like it’s going?
So there were discussions about that at the time.

和訳: パルパティーンを復活させることはいつ決めたのですか?これは『フォースの覚醒』から考えられていたことですか?それとも、スノークがいなくなったから復活させたのですか?

9章で構成された一つの物語として見たとき、パルパティーンが戻ってこなかった方がおかしい。パルパティーンが何を考え、誰であり、どれほど重要な存在で、この物語そのものが何であるかを鑑みると、シークエル・トリロジーに彼が全くいないのはおかしい。いないとかなり不自然になるだろう。ある決定的な物語があり、何が起こるかを全て分かりきっていったとまでは言わない。だが、私とラリー・カスダンが『フォースの覚醒』を制作していたとき、私たちは別に隔絶された状態でやっていたわけではない。私たちは、それまでの作品を検討していった。新しい物語を始めるために、私たちは以前見たことがあるような特定の物事やテーマ、アイディアを扱う物語を描くことにした。だが、我々はそれまでの作品を分析し、この物語はどこへ向かいそうかを考えていった。
だから、それ (パルパティーンの復活) についてはその時から検討していた。


JJ Abrams Interview: ‘The Rise of Skywalker’ And Return Of Palpatine, 和訳は引用者による


考えてみれば、パルパティーンがラスボスになる展開は割と理に適っている。
というのも、『スター・ウォーズシリーズ』は、スカイウォーカー一族の物語であるのと同時に、パルパティーンの物語でもあるからだ。
『エピソード4』から『エピソード6』のオリジナル・トリロジーは暗黒卿の最高権力者としてのパルパティーンの君臨と転落を描き、『エピソード1』から『エピソード3』のプリクエル・トリロジーはパルパティーンが銀河皇帝へと登り詰める様を描いた。
ルークやアナキンらほどの出番はなかったものの、常に『スター・ウォーズ』の戦いの根幹にいたパルパティーンの存在感は確かなものだった。


ただ、シークエル・トリロジーにおいてもパルパティーンが最後の敵として君臨したことに、やはり唐突感は否めない
そもそも、『エピソード6』でアナキンが犠牲となってパルパティーンを倒したはずなのに、なぜ今作では復活しているのかが説明されていない。
それどころか、パルパティーンの復活が今作のオープニングクロールの説明でいきなり明かされたことに非常に驚いた。
実はカイロ・レンの脳内の声はパルパティーンの仕業だったと明かしたりして、何とかパルパティーンをシークエル・トリロジーの本筋ににねじ込もうとする努力は見えた。
だが、『エピソード7』や『エピソード8』でパルパティーンの暗躍を示唆せず、今作でもパルパティーンの復活をほとんど描かずに急ぎ足で物語を進めた。


結果的には、エイブラムス氏が思い通りのシナリオを描くために急遽復活させられたように見えて仕方がなかった。
実は、『ジュラシック・ワールド』なども監督したコリン・トレベロウ氏が当初今作の監督になる予定だったが、ルーカスフィルムの首脳陣とは「異なるビジョン」を持っていたため、2017年9月に降板が発表された*1
そんなトレベロウ氏は、以下のインタビューでこのように述べていた。

"Bringing back the Emperor was an idea JJ brought to the table when he came on board," Trevorrow says. "It’s honestly something I never considered. I commend him for it. This was a tough story to unlock, and he found the key."

和訳: 「皇帝の復活は、エイブラムスが抜擢された時に彼が出したアイデアだ。私はそれまでそのアイデアを検討したこともなかったので、彼のことを称賛したい。解くことが困難な問題に対する答えを彼が見つけたのだ。」


https://www.empireonline.com/movies/news/colin-trevorrow-star-wars-rise-skywalker-last-jedi/, 和訳は引用者による

つまり、『エピソード8』の撮影が終了した2016年7月*2時点では、パルパティーンの復活まだ予定されていなかったことが分かる。
よって、今作でどうにか物語を綺麗に終わらせるために、エイブラムス氏が急遽パルパティーンの復活を決定したことが推察できるため、唐突に見えるのもある意味当然だ。


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結論

『スター・ウォーズシリーズ』ほどの知名度と人気が高いシリーズに、世界中の人々が納得するエンディングを作ることほど困難なことはなかったに違いない。
特に、前作『エピソード8』の評判が芳しくなかっただけに、エイブラムス氏はかなりのプレッシャーを感じていただろう。


そんな中、『スター・ウォーズシリーズ』の普遍的なテーマをしっかりと尊重しつつ、今日の世の中に合わせた新たなテーマをブレることなく一貫して描いた点においては、私はシークエル・トリロジーや今作に感謝を示したい。
テーマ的な部分に関しては、恐らくエイブラムス氏とジョンソン氏の間ではしっかりと引き継がれていたことが見て分かる。
そして、私自身もこのトリロジーを観終わった頃には描かれたテーマに非常に納得できた。


シークエル・トリロジーの筋運びに関しては一貫性はなく、それが特に今作で露わになっている。
私はやはり、本筋に関して明確な計画がないままリレー形式で次作の監督や脚本家に物語の続きを委ねるといった、シークエル・トリロジーの製作体制に問題があった感じる
ジョンソン氏によって残された『エピソード8』後の状態と、エイブラムス氏が思い描いていたシークエル・トリロジーの筋運びの構想との間に大きなギャップがあったのだろう。
そして、その大きなギャップをたった一本の映画で埋める必要があったため、今作に急な展開が多いと感じてしまったのだろう


ルーカスフィルムに、二人の監督のゴールに対する認識を統一するリーダーシップがあれば、もう少しスムーズな筋運びになっていたのかもしれない。
『スター・ウォーズシリーズ』が大好きで、今作のことも待望していた一ファンとして、そこが残念で仕方がない。





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