折角の正月休みなので、映画を何本か観ようと決め、大晦日に近くのTSUTAYAへ行きDVDを借りてきた。
そして私が2018年の初映画として選んだのは、2017年に公開された入江悠監督の『22年目の告白 -私が殺人犯です』。
映画館に行って予告編が流れる度に「面白そう、観ないとなぁ…」と思いながらも、何だかんだ忙しくて結局はDVDで観ることに。
主演の藤原竜也さんのサイコパスな演技を久々に観たいと思ってしまってね。(笑)
今回はこちらの作品についての感想を書きたいと思います。
初めてこのブログで特撮以外の記事を載せますが、これからも特撮以外の映画の感想なども載せていきたいと思うのでお付き合いお願いします。
『22年目の告白 -私が殺人犯です-』のネタバレを含みます!!
複眼的な視点
今作の演出にずっと感心していたが、映像面での大きな特徴と言えば、複眼的な視点だ。
東京連続絞殺事件の犯人が用いたビデオカメラの映像。
仙堂の密着取材班が撮影したテレビカメラの映像。
仙堂の邸宅にある監視カメラの映像。
テレビに映し出されたテレビ番組の映像。
これらの映像を用いて、様々な視点から映画を撮っていたことが印象的だ。
例えば、犯人のビデオカメラの映像では、ビデオカメラの映像ならではの手ぶれがあったり、犯人視点のPOVになることによる臨場感や生々しさも加わった。
1995年のビデオカメラの画質の絶妙な荒さが更なる恐怖と妙なリアリティを表現していて、これがまた恐ろしかった。
また、真犯人の仙堂は不自然なほど様々な視点から映し出されていて、勘のいい人なら犯人が演出から直ぐに見抜けたかもしれない。
そして、今作では「メディアの目」というのも大きなテーマとなっていた。
曽根崎は常にメディアによって取り上げられて、多くの人々は「22年目の告白」の一連の騒動をテレビやネットを通して傍観していたのではないだろうか。
複眼的な視点の映像表現を用いたことにより、よりリアリティと臨場感が増して、様々な媒体が発達した2017年だからこそ不特定多数の人に観られていることを表現する上でも非常に効果的だったのではなかろうか。
月日の流れ
「22年」という時間を感じさせるために演出面での工夫が非常に凝らされていた。
特筆すべきなのは、一番冒頭のモンタージュだ。
事件に関係する映像に、阪神淡路大震災や小泉内閣の発足、愛・地球博に関する実際の映像や音声を混ぜ込み (これは流石テレビ局が今作の制作に携わっているだけある)、我々観客にも年月を感じさせる。
映像のアスペクト比もこのモンタージュでは意図的に変わり、まるでブラウン管テレビを通してみているかのような少しノスタルジックでかつ不穏な雰囲気を漂わせていた。
22年という時間の長さを表現する巧妙な手法であると感じた。
そして、本編中でも時代感の演出が大切にされていたことも印象的であった。
1995年の映像ではアスペクト比や映像の色彩も変わり、服装やバス停の看板などのセットや小道具も一つひとつ丁寧に作りこまれていた。
今作の1995年の再現が、テーマの「時効」を描く上で非常に重要であったと感じる。
というのも、今作は実際に2010年4月27日に日本で殺人などの凶悪犯罪の公訴時効が廃止されたことを絡めているからである。
この法改正により1995年4月28日以降に発生した事件の時効が廃止されることとなった。
そして、今作ではギリギリ時効が適用されてしまった東京連続絞殺事件 (最後の事件が1995年4月27日に発生したと思われていたため) を扱っている。
勿論東京連続絞殺事件は現実には起きなかった架空の事件だが、実際の日本の法律に合わせて、しかも具体的な日付などに関しては日単位で史実に基づいて忠実に設定が練られている。
我々も実体験に合わせて月日の流れを感じることができたのは、1995年のリアルな再現がノスタルジアを呼び起こすことに成功したからではないだろうか。
そしてそんなリアルな世界の中で起きているからこそ、非リアルの中で苦悩する被害者や遺族への観客の同情や共感も一層高まる。
時効って何だよ!?
前項でも挙げたように、今作の大きなテーマの一つとして「時効」がある。
東京連続絞殺事件の時効成立後である2017年に自ら犯人として名乗り出てのうのうと告白本を出版した曽根崎雅人。
刑法に則って罰せられる心配がなくなったことを利用し、曽根崎はマスコミ等を使い素顔や肉声までもを公にして大々的に行動する。
謝罪会見を開き、マスコミを連れて被害者遺族への謝罪に行き、サイン会までもを開催。
そして、事件に関わっていた人たちがその様子を見て反応する様子も描かれる。
当時事件を追っていたが、最後の事件で同僚を亡くしてしまった牧村航刑事。
「世代をも超える憎しみ」を背負う遺族たち (戸田丈、岸美晴)。
当時記者として事件を追っていて、現在は人気報道番組のニュースキャスターとして働く仙堂俊雄。
人の命を奪う残虐な方法を語り、告白本で金を稼ごうとする犯人の姿を見て、被害者や遺族は法律に乗っ取って犯人が裁かれない現実に苛まれる。
そして被害者の息子や娘は、曽根崎への復習を企み、彼を自らの手で命を奪おうと試みる。
仙堂は、自身の報道番組に曽根崎を呼びメディアの手によって彼を裁こうとする。
一方で、刑事の牧村は一度は曽根崎に挑発 (と思われしき行為) されて激昂するものの、戸田に撃たれそうになったり刺されそうになった曽根崎を庇い、刑事としての役目を全うする。
そして我々は、その刑事の行為に対する被害者遺族の反応も痛々しいほど共感できてしまう。
このように時効の存在意義を問いかけ、時効を迎えてしまっても消えない犯人への憎しみを前半部分の大部分を割いて描いていたため、非常に緊張感のある作品だ。
だが面白いことに、これだけ「時効」をテーマとして押し出してきているのにも関わらず今作の主題はそこではないことに、今作の中盤に差し掛かると気づく。
結局曽根崎も被害者の一人の牧村里香と婚約していた小野寺拓己で、彼もまた真犯人への憎しみを抱えた遺族の一人であることが発覚。
そして牧村も犯人をおびき出す為に告白本を自身の捜査を基に書き、曽根崎と手を込んでいて、遺族の山縣医師も小野寺の整形に携わったりして加担していたことも発覚。
このように、結局は主要人物のほぼ全員が犯人への憎しみを抱えて行動していた、という構図が発覚したときには驚きつつも納得してしまった。
この作品のどんでん返しには、視聴者を驚かせること以上の意義があることに気づき、感心してしまった。
真犯人であることが発覚した仙堂は、過去に戦場で友人が絞殺されていた現場に居合わせていて、その同様のことを他人にも行って快感を味わっていたのだと告白。
そんな仙堂を復讐のために絞殺しようとした曽根崎は、仙堂と「鏡像」の関係になりかけてしまう。
だが牧村刑事が、妹の命が奪われた際の記録映像を分析した結果、1995年4月28日に亡くなって公訴時効が適用しないという事実を曽根崎に伝え、曽根崎は「鏡像」の関係から脱却し命を奪わずに済む。
結果的に今作では犯人が刑法に則って裁かれ、公訴時効の撤廃により曽根崎は「憎しみの連鎖」を免れた。
そういう意味では時効撤廃の必要性を訴えた作品であるのかもしれない。
しかし、最後の最後に本当に今作が伝えたいことが見えてくる。
真犯人の仙堂もまた刑務所の中で手記を書き、『闇を追いかけて』という告白本を出版。
そして、戸田は清掃員に変装し、刑務所に潜り込み、仙堂を刺してしまって今作は終わる。
真犯人が刑法に則って裁かれても状況が殆ど変わらなかった、というのがある意味今作の最大のどんでん返しではないだろうか。
戸田は結局「憎しみの連鎖」から逃れることができず、復讐を企んでしまう。
いくら犯罪者が法律に則って裁かれようとも、憎しみは被害者遺族の中で世代をも超えて受け継がれる。
決して「復讐」を肯定するような映画ではないと思うが、法律によっても救われない人がいる、というペシミスティックなメッセージが今作から受け取れるのではなかろうか。
「ソネさま現象」
殺人犯として告白本を出版した曽根崎が、その美しいルックスにより一躍有名になり、「ソネさま現象」が発生する。
映像や照明を用いてメディア向けに演出された謝罪会見で曽根崎が注目されて以来、告白本が爆発的に売れて、サイン会まで開催される。
LINEで「ソネさまスタンプ」まで発売されるのは流石に少し笑えてしまうが。(笑)
メディアに積極的に取り上げられて世間に注目されることこそが曽根崎と牧村が狙っていたことなので計画通りなのだが…
では果たしてこのようなことが実際に日本では起き得るのか、と考えると、「起きない!」と断言できないからこそ恐ろしい。
私が「ソネさま現象」を見て真っ先に思い出したのが、2009年頃話題になった「市橋ギャル」だ。
市橋達也容疑者がイケメンだということで彼のファンが当時出現した。
信じ難いが、このようなことが日本で実際にあったことを踏まえると「ソネさま現象」もあり得なくはない。
今作の世界では、曽根崎の出現により被害者遺族の中では憎悪がかきたてられた一方で、世間では22年前の事件が風化してしまい「22年目の告白」は一種のエンターテインメントとして傍観されていたのではないだろうか。
例えば、曽根崎の看板の前で自撮りをしていた女子高生たちなんて、連続絞殺事件が起きていた頃には恐らく生まれていない。
だからこそ、謝罪会見に過剰な演出をしたり、告白本の表紙に自身の顔を大きく載せたり、サイン会を開催したりして自らを「アイドル化」した曽根崎がメディアに大きく取り上げられて社会現象となり得たのではないだろうか。
そう考えると、非現実的な度合での曽根崎のアイドル化が描かれているものの、世間の反応にはどこかリアリティがあり、それが余計に怖い。
欲を言えば、世間の興味を過剰なくらい掻き立てたり、社会的制裁を下そうとする「メディアの在り方」などについてももう少し掘り下げてほしかった気がしないこともないが。
総括
今作の韓国映画『殺人の告白』のリメイクらしいので、ある程度非現実的な描写があることには仕方がないと思う。
例えば、曽根崎の整形の描写などは、整形が発達している韓国だからこそ余計にリアリティがあってしっくりとくるのかもしれない。
また、海外では犯罪者に群がるプリズン・グルーピーという、囚人をファンとして崇拝するような人々が割といるらしいので、そのような国々では「ソネさま現象」がよりリアルに感じられるかもしれない (韓国社会でどうかは分からないが)。
しかし、2009年の「市橋ギャル」が話題になったことにより「ソネさま現象」のリアリティも増し、日本社会では起こり得ないことではなくなってしまった。
そして、今作は実際の2010年4月27日の公訴時効廃止に沿って忠実に作られた作品である。
ここでもリアリティをしっかりと求めつつ、複眼的な映像を使用することで観客に臨場感を味わってもらい映画の世界に引き込むことに成功。
また、1995年のノスタルジアを呼び起こすことにより、22年という月日の流れを感じさせることにも成功。
まさに、今の日本に合わせてできる限りのリアリティを求めたリメイク版が完成したのではないだろうか。
そして多くの日本人が今作の世界観に没頭できて、被害者遺族に感情移入できるような「2017年の日本人」に向けた素敵な作品が出来上がったと感じる。
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